クルージング後の入浴

横浜マリーナ会員の斎藤智氏が執筆した大人のためのクルージングヨット教室を題材にしたマリン、セイリングクルーザー小説。

クルージング教室物語

第39回

 クルージングを終えた後の入浴ほど快適な
ものはない。

「さあ、お風呂に行こうか」

 隆が皆に声をかけた。

 保田の漁港に入港してから皆は、簡単な軽

食を作って、ビールを片手にヨットのキャビ
ンの中で一服していた。

 ひととおり一服し終わった後で、隆は後ろ
のオーナーズルームに行って、自分の入浴セ
ットを取って来た。

 ほかの皆も、隆の持ってきたものを参考に
自分のバスタオルなどをトートバッグに詰め
て、お風呂に行く準備をした。

「ちょっとお風呂に行ってきます」


 ラッコのすぐ隣りのポンツーンに舫ってい
たマリオネットのクルーに一言告げてから船
を降りた。

「行ってらしゃい。ちゃんと留守番していま
すから」

 マリオネットのバウデッキで、頭にタオル
をかけて寝転がっていたクルーが、頭を少し
だけ上げて、ラッコのほうを眠そうな目で見
ながら、ラッコの皆を送りだしてくれた。

「どっちに行くの?」

 保田の町が初めてのラッコのクルーたちは
隆の後ろからついて行く。

 隆は、とりあえず駅のほうに向かおうと思
っていた。

 保田は、さすが漁港の町だけあって、駅ま
での道に小さな魚屋さんが何軒かあった。
 売っている魚は、東京の魚屋さんとは比べ
ようもないくらい新鮮だった。


 しかも、それが東京の町の魚屋さんよりも
はるかに安い価格で売られているのだ。

 麻美は、ちょっと足を止めて、お店の中を
覗いて行く。

「安いね!魚ってこんなに安いんだ!?」

 普段、実家暮らしで料理はおろか買い物も
全て母親任せのルリ子が、麻美の後に続いて
お店の中に入って来て、魚の値段に驚いてい
る。

「魚も東京じゃ、こんなに安くないわよ。何
匹かここで買って、家に持って帰りたいぐら
いだわ」

 麻美が、ルリ子に説明した。

 麻美だって、中目黒の実家暮らしだ。いつ
も普段の食事はおろか、会社で食べるお昼の
お弁当まで母親に作ってもらっている。

「麻美だって実家暮らしで、料理なんていつ
もお母さんに作ってもらっているんじゃない


の」
「失礼ね、この年ですから休日は、いつも買
い物も料理も私が作って家族の分も食べさせ
ています」
「そうなんだ」
「ええ。平日だって、会社がもっと忙しくな
く、残業も無しで早く帰れれば自分で料理し
ますけどね」
「それはすみませんね。忙しい会社で」
「本当よ、まったく。なにせ社長がまるで子
どものように手のかかる社長秘書ですし」
「それは申し訳ないです」

 社長の隆は、秘書に謝っていた。

「海老とか美味しそうだな」

 隆は、話題を変えた。

「海老、買う?明日の帰りのお昼ごはんは海
老チリでも作ろうか」
「いいね!」

 隆は、麻美の案に賛成した。


 麻美の海老チリは、アメリカのチャイナタ
ウン仕込みで辛過ぎず、甘すぎずで絶妙な味
なのだ。

 魚屋で購入した魚の入ったレジ袋を片手に
皆は、町を眺めながら、ぶらぶら歩いている
と、いつの間にか駅に着いてしまった。

 小さな田舎町の駅でホームには、老女がた
った一人、次はいつ来るかもわからない電車
を待って、座っていた。

 駅前の広場だというのに人は誰もいない。

 タクシーが一台だけ停まっていて、運転手
さんが、のんびりと客待ちしている。

 ラッコの皆は、帰りもヨットで帰るので、
特に電車に乗って帰るわけではないが、駅舎
の中に入って、路線図を確認していた。

「さあ、お風呂に行こうか」

 隆が言って、皆は駅舎を出た。


 駅の向こう側に小さな旅館、民宿があるの
が見えた。民宿の入り口に「日帰り入浴歓迎
」の看板が立っている。
 皆は、そこを目指して歩いていった。

第40回につづく