勝山

横浜マリーナ会員の斎藤智氏が執筆した大人のためのクルージングヨット教室を題材にしたマリン、セイリングクルーザー小説。

クルージング教室物語

第112回

 ラッコは、朝早くに館山港を出港した。

 昨夜は、隆が言うところのトラブルメーカ
ー、マリオネットもいないし、館山の夜は静
かなものだった。

 いつもマリオネットのメンバーたちと夜遅
くまでお酒を飲んで、起きている麻美と雪も

早く寝る洋子たちと同じ時間に早々に眠って
しまっていた。

 本日の目的地は、千葉の勝山の港だ。

 館山から勝山までは、同じ千葉の房総半島
ということもあり、だいたい3、4時間ぐら
いで行ける。

 9時に出航したとしても、お昼過ぎには到
着してしまう計算だ。


 にも関わらず、ラッコは朝の6時過ぎには
もう館山港を出港していた。

「暁って早いの?一番でやって来るかな」

 ルリ子は、隆に聞いた。

「たぶん。うちの横浜マリーナだけでなく、
けっこう相模湾のヨットレースでも上位を走
っているヨットだから、一番にやって来ると
は思うんだけどね」

 隆は、ルリ子に答えた。

 その日の朝、暁たちが参加しているヨット
レースは、浅野8時に木更津をスタートして
いるはずだった。

「朝8時に木更津スタートっていうことは、
暁さんって前の日から木更津に泊まっていた
のかな」

 麻美は、隆に聞いた。


「そうだよ。いや、木更津のホテルに泊まっ
ていたってわけではなくて、昨日の夜、深夜
に横浜マリーナを出航して、朝早くに木更津
到着しているはずだよ」
「夜じゅう走っているの?それじゃ、ぜんぜ
ん寝ていないんじゃないの」
「うん、寝ていないよ。まあ、仮眠ぐらいは
それぞれしているかもしれないけど」
「それで、そのままレースに出場しちゃうの
すごい!私には、とても無理。大学の受験と
かだって、前の日には、いつもよりも早く寝
て、しっかり睡眠とらなければ実力出せなか

ったのに」

 麻美が言うと、

「それで、前の日にぐっすり寝たおかげで、
麻美は希望通りの大学に合格できたんだ」
「うん、まあね。受けた大学のうち2校は落
ちたけどね」

 麻美は、隆に答えた。

「って、うるさいな。隆は余計なこと言わな


いでいいの」

 麻美は、隆の頭をコツンと小突いた。

「前の日の廻航から、クルーにとってのヨッ
トレースは、始まっているんだろうな。廻航
も含めてがレースなんだよ、きっと」

 ラッコは、館山湾を出て、昨日走った航路
を、昨日とは逆に北上していく。

 しばらく行くと、勝山の前にある浮島が見

えてきた。勝山の町のすぐ目の前に浮かんで
いる浮島は、東京湾に浮かぶ個人所有の無人
島だ。

「戻って来たな」

 隆は言った。

 浮島にやって来たラッコは、その沖でアン
カーを落として、暁たちレース艇がやって来
るのを待つことになった。


 暁がやって来た。

 暁が、こちらに向かってやって来た。

 麻美は、双眼鏡を片手に、木更津方面を覗
きながら暁が来るのを待っていた。
 真っ赤なスピン、スピンネーカーを上げて
ヨット集団の中、一番先頭でこちらに走って
来るヨットがあった。

「暁さん、来たよ!」

 麻美は、その派手な赤いスピンネーカーを
見つけると、隆に報告した。

「暁って、あんな真っ赤なスピン持っていた
っけ?」

 隆は、暁のスピンは青かった記憶があった
ので、首を傾げた。

「新しく新調したのよ。私、この間、佳代ち
ゃんと一緒に、あの新しいスピンを見せても
らったもの。ね、佳代ちゃん」


「うん。私たちに見せながら、望月さんがも
のすごく自慢していたよね」

 佳代は、麻美に答えた。

「確かに!すごく自慢していたよね。あのス
ピンは50万以上掛かったんだとかって」

 麻美も頷いた。

「スピンに50万か。うちだったら、スピン
に50万なんて考えられないよな。50万あ

ったらテント付けるとか、性能の良いオート
パイロット付けるとかしたりするな」

 隆が言うと、横にいた洋子も、確かにって
感じで頷いていた。

 赤いスピンのヨットが、近づいてきて、だ
んだんその船体まで肉眼でもはっきり見える
ようになってきた。

 麻美の言うとおり、赤いスピンのヨットは
暁だった。


 暁は、後ろに何艇ものヨットを従えて、一
番先頭を走っていた。

「さすがね。暁さん、一番じゃない」
「ほかのヨットを、後ろに従えて走ってくる
姿がかっこ良いわね」

 麻美たちが、話していると、暁がすぐ側ま
で寄って来た。

 ラッコのステアリング、舵を握っていた洋
子は、レースのじゃまにならないように、レ

ースの針路から船を外にずらした。

「暁さーん」

 麻美は、やって来た暁の乗組員に、ラッコ
の艇上から手を振った。

 暁に乗っていた乗員や望月さんも、麻美が
手を振っていることには、気づいていたよう
だったが、レースに真剣で麻美に手を振り返
しているどころではなかった。


 暁の船の後部の席に、でんとオーナーづら
して腰掛けている望月さんだけが、麻美の方
に向かって大きく手を振り返していた。

「レースで抜かれないようにするのに必死で
麻美にまで手を振り返していられないよ」

 隆は、微笑みながら麻美に言った。

 暁は、すぐ後ろに迫っていた後続艇とデッ
ドヒートを繰り返しながらも、一番に浮島を
周って、木更津に戻って行った。

 スタートした木更津にゴールラインがある
のだ。木更津から浮島まで走って、浮島を周
って、また木更津に戻ってきてゴール、とい
うのが今回のレースのコースだ。

「さあ、俺らは、勝山港に入港しようか」

 レースの参加艇のほとんどが浮島を周って
木更津に戻っていってしまうと隆は、ラッコ
を勝山港に入港させた。

 港内には、マリオネットの姿があった。


 マリオネットの艇上で日向ぼっこしていた
乗員たちは、ラッコが入港してくる姿を見つ
けて、こっちこっちと誘導していた。

第113回につづく